なぜ空風工務店?


大工を始めたのは高校三年生

 代表の阿部飛鳥が大工を始めたのは高校三年生の夏休みです。「僕が大工になりたい」と言っていたので、母親が知り合いを通じて紹介してもらった、地元伊勢崎市で明治から続く㈱大塚建設に面接に行ったのが高校三年生の7月。やる気があるなら夏休みからおいでと言われ、夏休みからアルバイトで大工見習いを始めました。色々と迷惑をかけながら、親の様に面倒を見てもらい、大工として育ててもらいました。大工のいろはを教えてもらい、僕の大工の原点です。可愛がってもらっていましたが、自分自身の中にある京都への憧れから、わがままながら退社させてもらいました。あの時は若さからなのか、「若い時の苦労は買ってでもしろ」を真に受けて、続ける=甘えと思っていました。


親方という名の親

 21歳の秋に京都に来ました。その時は京都で修業をするんだと意気込み、群馬から自転車で中央アルプス超え、京都に入洛しました。京都に来てからも、京都市西京区の㈲古川寛工務店にて親方の元家族の様に育ててもらい、実の親以上に面倒を見てもらいました。木の使い方、家づくりのモットー、そしてなによりもお客さんとの関わり方を深く学ばさせていただきました。27歳になり、もっと色々な仕事をしてみたい、感じてみたいと思い、一人親方として新たなスタートをきり、神社、お寺、数寄屋建築、マンション、建売住宅、ゼネコン現場、大型木造建築と、本当にたくさんの仕事に関わらせてもらいました。

大工としてやってこれたのは

たくさんの支えてくれた人たちのおかげ

大工を続けながらたくさんの人に面倒を見てもらい、たくさんの人にお世話になりました。大工という仕事を続ける上で、ほんとうに人間として成長出来たと思います。ありがたい事に仕事が順調に続いていく中で、30歳で空風工務店を設立させていただきました。

 これからまだまだ成長したい、自分が出来る形で恩返しをしていきたい、そしてお客さんを満足させる大工でいたいという気持ちを込めて、あえて自分の名前ではなく空風と付け、そして工務店を名乗らせていただきました。僕という人間が工務店を始め、続けることが出来ているのは、自分だけではなくたくさんの支えてくれる人のおかげです。だから自分の名前ではない屋号を付けました。

 「空風」。よく、なんて読むのと言われます。そのまま、そらかぜと読みます。ただ、そのまま空と風で付けたのではなく、群馬の名物に「空っ風」というものがあり、そこから付けました。そのままからっかぜ工務店と名乗るのは響きもよくないので、分かりやすく自然を感じられるそらかぜ工務店となりました。群馬の名物を入れたのは、群馬でお世話になった感謝の思い、そして群馬出身の人間として、京都でやっていくんだという決意です。京都で大工さんの工務店として、感謝を形にしていきます。